会員募集中!


「リボンをなびかせて踊ってみたい!」「しなやかで美しい動きを身につけたい!」そんな憧れを叶える新体操クラブの会員を募集しています。

 新体操は、リズムに合わせて体を動かす楽しさと、美しい演技を表現する喜びを味わえるスポーツです。柔軟性やバランス感覚、表現力を自然と身につけながら、仲間と一緒に楽しく練習できます。

お知らせ / NEWS

  お知らせ    ホームページを公開しました。今後ともよろしくお願いいたします。


代表挨拶/ MESSAGE


 このクラブは、平成元年に設立しました。 経緯をご紹介します。


福島体育館臨時職員の勤務半ばで、第一中学校の産休補充教諭となった時、金子キイ子先生に「新体操やっていたのなら、中体連で競技の手伝いに来たら」と、担当はバスケットの顧問だったにもかかわらず、開催時期がずれていたため、新体操の大会運営に連れて行っていただき、以後、中体連(女子体育)の、体操・新体操の顧問の先生方には、大変お世話になりました。

産休補充教諭の3か月間だけでも、親族・知り合い・先輩・後輩も居ない核家族の我が家では、3歳児の長男が風邪から肺炎になり入院する等、大波乱! 広島鈴峯高校新体操部の顧問の時は夢中になりすぎたようで、実母には、「結婚を機に、貴女は新体操はやらない方が良いよ」と、云われてしまい、すっかり封印していました。しかしながら、頑張っている近所の子を見たら、ついつい手や口を出してしまっていました。


体育館の嘱託職員で雇用していただいてから、福島体育館を借りて練習に来る福島女子高校の音体部の生徒達に声掛けしたのか?されたのか?…その内、福島成蹊女子高校音体部(作田先生ご療養中の体育主任であった主人(水戸博)も、何となく承諾をしてくれてコーチ職を受け…)、信ヶ丘競技場勤務中には、第三中(永林先生)・福女高(加藤先生)・梁川高校(田中先生)・桜の聖母高校(誉田先生)と高校まで関りを持つようになっておりました。


クラブを起こすきっかけは、娘の梢が、アルバムに新体操姿の私を見つけ「これをしたい!」との一言……早速、県北地区6校あった各高校から、福島体育館に数名ずつ通い始まり、徐々に、コーチをしていた成蹊高校のご理解の許、皆の練習会場としての借用も可能にもなり、クラブとしても、大きなチャンスをいただけました。

国体前の平成6年の県総体には、SSチームとして県北選抜チームとして1チーム、それに県北地区の各学校チームが団体・個人に、全員参加する事ができました。

まずは、高校・中学生をメインに始めたクラブでしたが、県北体操協会会長の小野韶芳先生のお力添えを戴き、県北体操協会で新体操ジュニア大会を成蹊をお借りして、開催していただける運びとなり、賞状のみならず、励ましの品々も走り回ってご用意くださったことは、その後大きな活動を進める事が出来ました。


県北地区で初めて新体操ジュニアクラブとして、更に力添えいただき、確立していけた県北体操協会会長の斎藤宏先生・会津の阿部貢先生・立川先生方の励ましは、格別で、私自身学生時代から、会津東山温泉での合宿など大変お世話になっており「福島の阿部先!立川先生!」という心強い御存在のままで居てくださったことも、感謝しかありません。

現在も着用している、公的ユニフォームは、福島県体操協会の田中善六会長(クラロンスポーツ)で制作し続けていただいています。クラブトレーナーの背面画は(国士舘、細田先輩)、マークは(当時蓬莱中学校の宗像先生の同僚先生)作です。これらのご恩を忘れる事なく引き続き現在も活用させていただいています。

※ヒヨコが、生まれて初めて、目の前を動く物を母と思い、ついて行く…その、ひよこ色は、どこにいても目立つ色(誰に見られても恥ずかしくないように立ち振る舞ってほしいと願って作成しました。)


開設した当初から母校国士舘大学(朝倉正昭先生)の応援を戴き、当時学生であった荒川栄先生(奇しくも第1期会員と同期)とのご縁も継続し、岩手・青森と就職先の教え子さん達の賛助出演を何年も継続して戴きました。


水戸章・梢にも大きな力を戴きましたのも、この御縁なくしては適わぬ事だったと思います。 

恩師、朝倉先生には、日本に新体操を導入してくださった、第一人者の東京女子体育大学(加茂佳子先生)と、お引き合わせ戴いた事。大きなご縁をいただけました。

平成7年の福島国体での当クラブの選手の開花は(肥沼美樹)を皮切りに育ってくれ、東京女子体育大学へ進学、翌年、水戸梢も続き指導者として磨きを掛けていただきました。

インターハイ・国体への常時参加の時期を同じくし、ジュニアクラブとしては、全日本クラブ連盟の登録チームとして、海外研修(ロシア・ベラルーシ・ブルガリア)への研修参加も4年間実現できました。特に、ブルガリアのネシカ・ロべバ先生からの心の教育に繋がる新体操の学びには感銘しました。

その成果として、各地区から集まった小学生が、附属中学校に集結した時、全国中体連(顧問;笠原先生;コーチ藏本あんな)まで、進出し、全国4位入賞を成し遂げてくれました。メンバーも保護者も一丸となって、素晴らしい応援軍団もどうこうしました。(クラブでは黒子軍団と言います)その陰には、練習環境の支援もあり、あづま体育館勤務中でした、体操競技の北村啓一先生の存在も、成果の源だ!と確信しています。本当に感謝しています。


男子新体操は、新体操ジュニア団体種目が東北大会で初めて実施された第1回・第2回で、「福島チーム」として優勝の栄誉を戴きました。 しばらく、国体等から離れた時期もありましたが、しっかりした心の教育の上にあった青森山田高校男子新体操部の受け入れのお陰で、岳陽中学校から進学した(柴田翔平)に続き、全日本ジュニアで優勝した平野中学校(籠島 遼)、荒井小学校から青森山田中学校に進学した(赤羽拓海)の活躍は、見るたびに進化し続け、嬉しい限りでした。これも感謝以外ありません。

 

さて、現在は…となりますと、伝えたい事はあっても、伝えきれる力が、年々伴わなくなっている状況でもありますが、「一人では生きてはいけない。」「助け合い・励まし合う…顔と顔を見合わせ、心と心を通わせて、互いに想い合う事から、愛が生まれ、感謝が生まれ、何よりも、人として生かされ、世の中に役に立てる教育」この実践の場として、育ち・育てる場所として、ご縁を大切に、美しい体と心磨きの為に共に過ごす場所にしたいと思っています。

新体操の基礎練習の内容は、幼児期からの大切な運動要素が多く含まれ、伝え方としては、親子体操・各年齢に応じた動きの習得・これらは、学習センターの教室・子育て支援センターの講師としても、お声掛けいただき、子供の無限の力を引き出すお手伝いもさせていただいています。

特にこの数年は卒業生たちが周期的に教室を担当してくれ、私は応援団の域に達していますが、素晴らしい指導者に育った卒業生達の力を発揮できる、環境つくり・場所つくりにも努めていきたいと思っています。

勿論、今、傍に居る、ご縁のある子供たちの無限の力を引き出す為に…

 

 更に、私目線で言えば「同期の桜といった年代」の高齢者の健康体操も、水戸章を中心に、「毎日を、元気で過ごす、心とからだの教室」として、現在は、私自身最も頼りにしている教室となって居ますのが、ニューライフ体操教室です。

昭和51年に福島に嫁いできましたが、県総体の事務局のあった保健体育課で勤務している時、当時の河原田穣市長から、これからは生涯体育の指導にも力を入れなければ…とお話を伺っており、健康保険センター・学習センター(公民館)からの講師依頼を戴き、生涯体育(一般体育)部門も、しっかりニューライフ体操教室に繋がっていると思います。

幼児期から高齢者に至る、全ての年齢の体に関わるクラブです。

 合わせて、ご体感いただきたいと思います。

  

 福島新体操クラブ 代表 水戸眞由子

クラブ紹介/ COMPANY

会社名 福島新体操クラブ
代表者名 水戸 眞由子
所在地 〒960-8157 福島県福島市蓬莱町2丁目111−8
電話番号 080-3334-8093